【幸せを紡ぐ物語】
12.272024
物語【喝采】前編
ある街のはずれ、真夜中になると、どこからかかすかに歌声が聞こえる。
その店がどこにあるのか、誰も知らない。
夜、もう日付が変わる頃になると客たちが集まり、店の中は活気づく。
グラスをかたむけながら語り合う紳士淑女。
婦人たちの軽やかな笑い声に、店の空気が楽しげに揺らめいた。
きらびやかなドレスに毛皮のショールを羽織った婦人の指先は大きな石のついた指輪で彩られ、紳士たちが着るスーツのしなやかな生地からは、一目で高価だとわかる滑らかな光沢が放たれていた。
やがて、店のオーナーが客たちに静粛を求め、1人の歌い手が舞台に現れた。
客人たちは拍手喝采でこの店のスターを迎える。
軽く膝を曲げて挨拶をすると、舞台の上の女は深い声で歌い始めた。
・
女が歌手を夢見てこの街へやってきたのは5年前。
けれど、一人田舎からでてきて誰も知るものもいない女が歌手として成功するなど、一筋縄でいくわけがない。
女は昼間は街のレストランでウェイトレスとして働きながら、夜になるとチャンスをつかもうといろいろな店を回った。
一曲でいいから自分の歌を聴いて欲しい…、女は歌う場がありそうな店をみつけては頼み込んだが、門前払いがいいところ、彼女を歌手として雇ってくれるところなどなかった。
夢のきっかけさえもつかめないまま日々が過ぎたが、女は歌手への夢を捨てることはできなかった。
心が折れそうになるといつも、街はずれの誰もいない墓地に面した空き地で歌を歌った。
歌手になった自分がきらびやかな舞台のスポットライトの中で、喝采を浴びる場面を心に描きながら…。
田舎にいたころは、青空の下で思う存分歌ったものだ。
でも今、見知らぬ街の小さなアパートで暮らす女が歌える場所は、この空き地だけだった。
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…後編へ続く〈絵と文/松本圭・2016制作〉
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