【幸せを紡ぐ物語】&【創作レッスン】
7.262026
【物語】citrus

About story
1年前の僕は、人生に疲れて、人生をあきらめていた。
オレンジの香りが漂う中、ある島での出会いが…
Story
島まで約30分の船旅。
甲板で風に吹かれながら、1年前のことを思い返していた。
1年前の僕は、人生に疲れて、人生をあきらめていた。
ある朝荷物をリュックに詰め込むと、誰にも何も言わずに、一人暮らしのアパートをあとにした。
その時の僕はすでに会社も辞めていて、恋人も親しい友達もいなくて、僕がいなくなったところで探してくれる人もいなかった。
そして、今日と同じようにこのフェリーに乗ったのだ。
あと15分もすれば目的地の島が見えてくるだろう。
1年前のあの日は、いっそこの船から身でも投げようかと言う、やけくその心境で短い船旅を過ごし、フェリーを降りた。
まるでずいぶんと昔のことのようだけれど、あの日不安定な海の上から大地に足をつけたとたん漂ってきた、爽やかな柑橘の香りは、まるで昨日のことのように思い出される。
島のフェリー乗り場のすぐそばに、小さなジューススタンドがあって、女の人が一人で搾り立てのジュースを売っていた。
爽やかで甘酸っぱい香りにひかれた僕は、ジューススタンドで冷たいオレンジ色のジュースを買った。
ジュースを一気に飲み干す僕の顔を見て、女の人が言った。
「まるで死人のような顔をしているわ。船酔いしたの?」
「大丈夫です。もともとこんな顔なんです」
「どこから来たの?」
「墓場からです」
「なるほど、だから死人みたいな顔なのね」
女の人は感心したように頷いた。
「ねえ、ちょっと待ってて。もうすぐ品切れだから、店じまいよ。島を案内するわ」
女の人は残り少なくなっていたジュースを、水筒に入れ変えるとバックに押し込んだ。
それからしばらくの間、女の人に案内されるままに、狭い島をあちこち回った。
時々コミュニティバスのような物に乗りながら、さんざん歩き回った。
たいした名物があるわけではないけれど、島を囲む青い海と空に、心が癒された。
女の人と僕は、まるで昔からの友人のように、会話のテンポがあっていて、笑いのツボも一緒だった。
歩き疲れると、女の人がバックに詰めてきたオレンジ色の甘酸っぱいジュースを2人で飲んだ。
たった半日あまりだったけれど、島を巡る時間は、僕の死にかけた心を生き返らせてくれるようだった。
夕方、最後のフェリーが出る時間がやってきた。
僕は思わず
「この島に住んじゃおうかな」
とつぶやいた。
女の人は僕のほうを見ずに、ただ海だけを見ながら言った。
「この島は死人が住むところじゃないわ。生きた人間が住むところよ。死人は墓場に帰りなさい」
住んじゃいなよ、という言葉と無邪気な笑顔を期待していた僕は、あっけにとられて女の人を見た。
「生き返ったらまたおいで」
あれから1年が経った。
まだまだ絶好調、と言えるほど毎日が充実しているわけではないけれど、とりあえず死人のような顔ではなくなったはずだ。
それなりに人間らしい生活を送っている。
フェリーが島に着き、不安定な海の上から大地に足をつけた
海から島へ吹き抜ける風は、まだ初夏にも早いと言うのに、夏の匂いがした。
夏の匂いに混ざって、どこからかあの懐かしい、爽やかな柑橘の香りがかすかに漂った。
終わり
〈絵と文/松本圭・物語制作2016年〉
この物語が、あなたの心に小さな希望の光を届けられますように。
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